「太田道灌と江戸」で意外なところに気付いた歴史好き
国立公文書館特別展「太田道灌と江戸」
歴史好きとしては見逃せない渋い企画展だ。
太田道灌といえば家康の前に江戸に城を築いた人…ってこと位しか存じていない、それじゃダメじゃん!な歴史好き。
そんな中で享徳の乱ってのがあって、まあこれが関東の30年戦争、関東における戦国時代の始まりって言われてるほど歴史上重要なポイントがあるんだよね…って、オレも良く知らなかったけど。
享徳の乱…享徳3年(1454)から1482年まで続いた関東の大乱。鎌倉公方の足利成氏が,関東管領の上杉氏と対立,成氏が上杉憲忠を謀殺し勃発。道灌は上杉側に付いて各地を転戦しているのだ。
もう、何が何だか…誰が敵なのか味方なのか分かんなくなっちゃうほど収拾がつきませんよ。この頃、西の方では応仁の乱です。学ぶ方も訳が分かんなくなっちゃいますよね。
そこで、「日本一単純な享徳の乱関係図」ってイラストも手に取ったんです。
そしたら、中央に堂々とオレんちの住んでる所が「鎌倉」とか「江戸」とか「古河」に並んで出てる訳だ!
長楽寺(群馬県太田市)の僧であった松陰によって記された回想録「松陰私語」によれば上杉方が成氏方に対抗するために武蔵国児玉郡五十子に結集していること、後花園天皇から軍旗を与えられていることが記されている。
五十子古城図によれば確かにオレんちの付近に陣を構え、砦を築いているのが分かる。
意外にこの地は上杉VS北条の戦略上の拠点だったんじゃないのかな?
オレんちは「増国寺」の若干南側だから、下掘れば何か出てくるんじゃない?それよりか、寺の住職とは昵懇だ。古文書か何かねぇ~かな。後で聞いてみよう。
いや、しかし…こんな重要資料が写真撮り放題だ。さすが公文書館!と、変なところに感心する歴史好き。
ちなみに…こんなのも展示されてましてね。意外に凄いですよ!公文書館。
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