金子みすゞの短い生涯に涙する鉄道趣味者

画像

 たとえ列車に乗ってるだけだけど同一行動を取るような我々ではない。益田でSLに乗車するチームと長門市を経由して美祢線に乗るグループに分裂した。

 オレは…もちろん!S…じゃなくて美祢線かな…だって乗り鉄だもの…。






長門市で下車した4人組は仙崎駅の近くにある金子みすゞ記念館を見学し、仙崎支線という渋い路線を乗る魂胆なのである。

「すいません運転手さん!金子みすゞ記念館まで!」

「…。すいません…私、運転手になりたてで…金子みすゞ記念館というのは…」

「え~と…仙崎駅の近くにある…」

「あッ!承知しました!」

「あッ…運転手さん…そこの道、左です!」 なんでオレ達が道案内しなきゃならないのよ!

「あッ…運転手さん…ここから一歩通行のようですのでここで結構ですよ…」

一方通行の入り口から灼熱の道を300mほど歩く鉄道趣味者4人組

画像

 よ~やく到着の金子みすゞ記念館。

 こちらの建物はみすゞが20歳までを過ごした場所だ。金子家は仙崎で書店を営んでいました。

 こちらが復元されたみすゞが過ごした部屋。
画像














 金子みすゞ…1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日)

 大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。本名、金子テル。26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」「金の星」の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された…。

 23歳で結婚したが、文学に理解のない夫から詩作を禁じられ、さらには病気、離婚と苦しみが続く。果ては、夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去る。

 むぅ…。夫が悪い奴だね!オレが夫だら言うね…「君の好きなことをやりなさいッ!」ってさ…。

 短い生涯でこの世を去ってしまった金子みすゞは長く「幻の童謡詩人」と語り継がれていたが、昭和57年に手書きの3冊の童謡集が弟の手元にあることがわかり「金子みすゞ全集」として出版され甦ったのだ。



お魚

海の魚はかはいそう

お米は人に作られる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。
ほんとに魚はかはいさう。


こんな詩を読んで何故か泣けてくる鉄道趣味者。

  よ~し!決めた!オレは…詩集を買うぞ!

画像



 仙崎って所はかつては捕鯨が盛んだった地で「鯨墓」があったり「鯨法会」なんていう法要をやってる土地なんだよね…。

 オレは鯨漁について騒ぐ奴らに言いたいね。お前らクリスマスで食う七面鳥の墓作ってるかい!法要してるかい?




 真面目な講釈をぶったところで…あれッ!他の奴らは?

 外でかき氷なんか食ってるよ… 

 
 この後、厚狭駅から山口線SL乗車組だった趣味者グループ副会長が声を掛けて来た。

 「おうッ!金子みすゞの旦那ってのが悪い奴でよぉ~。」 ミョ~に詳しいんだよな…。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

ナイス ナイス ナイス ナイス
かわいい

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 今年の1枚

    Excerpt:  毎年、新年に三十三間堂で色紙買って、こうして1年間掲げるのはこの十年間の恒例行事である。 Weblog: 煩悩だらけの日々 racked: 2016-01-01 21:04